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HIROKI ASAI

浅井 寛希

「自分の失敗を活かして就活生に働くことの楽しさを伝えたい」

浅井 寛希
人材紹介事業部 第二課 課長
中途入社

ただ流されるままにするだけだった就職活動

家は決して裕福ではなかったものの、父親が無理をして私にバスケをさせてくれました。家の事情も知っていたので、私はとにかくバスケを真剣に練習し、県で上位に行けるほどになりました。

大学もスポーツ推薦で入ったので、大学時代もギリギリまでバスケ一色の日々。私が就職活動を始めたのは、他の人たちが内定を取り始めている4年生の5月か6月でした。

これまでバイトもしたことがなかったので、履歴書の書き方もわかりません。何が正しくて、何が足りないのかも分からないまま、就活エージェントに相談をしに行き、数時間ヒアリングをされた後、いくつかの就職先の提案をされました。

たった数時間で私の何がわかったのかと今なら思いますが、その当時はそういうものなのかと思っていたのを覚えています。

そして、2、3件の内定をもらい、その当時の私の会社を決める判断基準は、お金を早く稼ぐことと勤務地だったので、条件に一番合う車の保険会社に入社しました。

後悔と目標を持つことができた瞬間

私が最初に任されたのは、電話での営業です。

契約を取ることができた時には、嬉しさもあって楽しかったのですが、ちょうど1年務めて辞めました。

事業所に行ってもつまらないと感じたからです。でも、それはどうしてそんな風に感じるのか、という疑問を持つきっかけになりました。

長年練習し続けてきたバスケは、確かに勝った時は嬉しい気持ちになりますが、それ以外の日々は常に鍛錬です。辛く感じる気持ちもありました。けれど、やめたいとは思ったことがありません。

理由は、バスケ仲間が好きだったからです。このメンバーとなら、どんなに辛いことでも乗り越えられると思っていました。

この感覚は、ビジネスでも同じだと思います。けれど、その会社では新人が悩んでいる時に声をかけてくれる人はいませんし、マニュアルもない。助け合いではなく、競争相手という感覚でしか周りを見ていない。

私自身も、保険の仕事がしたいからこの会社に入ったわけではない、ということに気付きました。ただ、渡された就職先の中から稼げる仕事を選んだだけです。つまり、志がそもそも私の中にもなかったことが原因だといえます。

失敗した経験を持つ自分だからこそできること

今の私にはどういう場所で、どんなビジネスがしたいのかということが明確にあります。

それは、私の考えと同じ考えを持つ会社で、私のような就職をさせないために就活をしている人を救える仕事です。

人材紹介の会社をいくつか面接しましたが、「就活をしている人を救いたい」と言うと、面接官に「君には人材紹介の仕事は向いていない」とまで言う人がいました。けれど、JHRは違います。

私をここに紹介してくれた幼馴染や社長は、私の考えに「いいね!」と言ってくれました。

ここなら私は、就活で失敗しそうになっている人を救うことができると思い、入社を決めたのです。

実際に働いてみて、その感覚は間違いではなかったと感じています。

私は自分のような就職活動で失敗する人を少しでも救えるように、これからもこの場所で、キャリアカウンセラーとして皆さんとお会いしたいと思っています。

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